1962年11月7日〜20日 日本ツアーの帰り道に、チュードアがサラバイ家の住むアーメダバードをはじめて訪れる。世界中でインドでしか手に入らないという人智学の本を探し求める。
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日付:1962年11月7日〜20日
小咄:
チュードアと仲良くなったマノラマ・サラバイはすこししつこい性格で、アーメダバードに来てくれという招待の手紙をひっきりなしにニューヨークに送りつけるようになる。1962年に、ケージとともに日本ツアーを行なったチュードアは、ここまで来たら、という感じで、アメリカに帰る前に一人だけ足を伸ばしてインドにはじめて赴く。こうしてアーメダバードからやってきたギータ・サラバイがイサム・ノグチの仲介でたまたまニューヨークの実験音楽シーンに彷徨い込んでから16年後、ニューヨークの実験音楽シーンがデーヴィッド・チュードアの姿でアーメダバードにたどり着く。それから3年後の1965年8月10日にマノラマはチュードアに宛てて、次のような手紙を送っている:「あなたが2年前[ママ]ここに来たとき、人類学(anthropology)かなんかの本を欲しがっていましたが、もし題名を教えてもらえたらそれを探してみます。インドでしか手に入らない(もし存在すれば)本だと言っていましたね」。チュードアが探し求めていた本は、十中八九、人類学ではなく、anthropologyとよく似たanthroposophy、つまり人智学の書籍だったと思われる。80年前のヘレナ・ブラヴァツキーのインド滞在が多方面にもたらした副産物のひとつは、東洋主義から袂を分かったはずのシュタイナーの、インドでしか手に入らないとても稀な著作の存在として結実する。
場所:
#インド
#アーメダバード
関係者:
#デーヴィッド・チュードア
#サラバイ家
#ルドルフ・シュタイナー
#タイプ:出来事_SIDE-B
#1962年